アイツと、読書と、音楽と

岡村ちゃんに長患い

村上春樹「騎士団長殺し」を読みました

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

たまには読書ネタを。
華々しく書店にて繰り広げられた村上春樹祭りに今回ものっかり、たっぷりと一週間かけてじっくり読ませていただきました「騎士団長殺し」。
結果、面白かったです、とっても。

この本を購入するまでは、他の人の口コミを見てから買おうかしら、と思っていたのですが、他の人って誰?と思い始めまして。村上春樹を私が読むにあたり、他の人の評価が必要か?と。
分かりやすいところで言うと、amazonの評価など目につきやすいのですが、あの評価だって実際全部読んだ人が書いている保証はどこにもありません。単に村上春樹が嫌い、という人が書いている可能性もあるわけです。
今回はあらかじめ何も見ずに、自分の中に今まで蓄積した村上春樹の世界だけを比較対象として読んでみようと思いました。

巷には村上春樹は読み手に不親切で、サービス精神がないという意見があるようです。
私は村上春樹にサービスを求めてはいません。
おそらく今まで読んできたもののどれをとっても丸々理解できた作品はないと思っています。
しかしほんの少し理解できたその一部分が、その時の自分の心に強い光を放てば、それだけで私はこの作家の作品を読んで良かったと思えるのです。
読書の感想として「サクサク読めた」
という言葉をよく目にしますが、これはおそらく作家の方にとっては一番言ってほしくない表現なのではないでしょうか。
わからない、理解できない部分が多くとも、それを考えることのできる余白が存在し、きちんと提供されれば読書はそこで終わりません。考えることが読み続けることになるのです。

音楽というものもこれに近いかなと思っています。
歌には歌詞があるけれど、その歌詞も書き手を越えた解釈が聴き手の側に生まれ、それが歌をふくらませて育てていくものだと思っています。

好きか嫌いか、でいいと思っています。文学も音楽も。
しかし「わかる=好き」「わからない=嫌い」というあまりにも簡単な図式に慣れてしまうことはとてももったいないことだと思います。
短時間でゼロか1か、白か黒かで判断されたものばかりを目にしていると段々それがあたかも自分の意見のように思えてきます。グレーがあってもいいんだし、そこに突然ピンクが見えてもいいわけです。それが何なのか考えることこそ文学や音楽を楽しむ醍醐味だしそこに幸福があるとも思います。

はっ!「騎士団長殺し」に関して、ほとんど何も書いていませんでした(笑)
プラトンの「洞窟の比喩」を出してきましたね。イデアとメタファーについて、副題についているくらいですから、かなり深く考えることになる作品です。現に今も考え中。
相変わらず人は死に、性交回数は多いのですが、そこばかりを嘲笑の対象とするのはちょっと違うような気がします。
実は今回の作品は、村上春樹の中でも読者に親切なのではないかな。そしていつにない終わり方だな、と感じました。
私は大満足でした。少なくとも次の長編が出るまで有意義な余白部分を味わうことができそうです。