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アイツと、読書と、音楽と

岡村ちゃんに長患い

安定と不安定のはざまで

安定している。
間違いなく最近の岡村は安定している。

私のファン人生において、いまだかつて、岡村が安定していたことがあっただろうかと昨晩湯船につかりながら考えた。初めての経験だと思う、20数年にして。
若かりし頃の岡村は、その存在自体が不安的極まりなかった。作る曲、発する言葉、テレビなどのメディア出演の際の不遜な態度。全てにおいて、年下の私がなぜこんなにハラハラせなばならないのだと憤るほどであった。

そして、言わずと知れた、出入りの忙しかった時期。
もちろんこの期間の不安定感といったらない。ファンである私も不安定。どこに送ればいいのかわからないファンレターを書いては破り捨て、ウォークマンに入っている岡村の曲を全て泣きながら消し、それでもCDを聴いては涙ぐむ、これ以上ないほどの情緒不安定。誰か他に好きな人ができればいいんだ、とTOKIOの長瀬や福山雅治(どうやらギターを弾けないと気が済まないらしい私は)を追ってみたり。しかしそんな、振られたから心の空白を埋めるがごとくほかの男を探す的な邪な気持ちでファンになっても、これが全然続かない熱量。

そんなこんなで数年過ぎて、あとはみなさんご存じの奇跡の復活。
そして今に至る。
インディーズであることの不安定感は、今の時代にはあまり不利にはならないようで、しかも長年私のような微熱がずっと続いていたような業界人にとって、あっという間にあのころの完全なるインフルエンザ並みの体温を取り戻すには、気力体力ともに万全であったらしく、そんな青春時代に心を持って行かれちまった野郎どものおかげで、ここまで活動していらっしゃる。
安定でしょう、これは。岡村史上稀に見る安定期。

さて、私は不安定な岡村が好きだ。
泣くほどの不安定感はもう二度と嫌だけれど、振り出しに戻って、信じられないようなアルバムを突然出してくる、音楽的不遜さを兼ね備えた岡村が好みである。こういうことは、安定期である今しか書けないと思い書いている。
今度の春のツアーは、いろいろ思うところあって、私は行かない。
あとから行った人たちに話を聞いて、地団駄踏むくらいのライブであってほしいと心から願っている。音楽に対して貪欲に、挑戦的な態度でいてくれることも望んでいる。
まだまだ、私は岡村靖幸をありがたがっていたくはないのだ。